そらマメさん道路局

道路関係と、一部の公共交通の話・郵便局めぐりなどがメイン。

筑後柳河停車場線、廃止。

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筑後柳河停車場線の廃止を告げる福岡県公報(福岡県庁HPより引用)

 平成31年(2019年)3月29日、筑後柳河停車場線が廃止された。この停車場線、よく分からない人もいるだろうから、一応説明しておく。

亡き「国鉄佐賀線」との連絡道路

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 元々は国鉄佐賀線の主要駅として君臨していた筑後柳河駅と、国道208号とを結ぶ停車場線(県道)だった。具体的には、筑後柳河駅前をスタートした後、その先で接続する主要道・久留米柳川線と重複し、踏切を渡った先の交差点(YOU・遊の森公園東交差点)を左折し、ガス屋の近くにある細い路地を通って、国道208号柳河小塚交差点に至る路線。

 国鉄佐賀線は国鉄戦力外通告でも話をした通り、元々は瀬高駅佐賀駅の間を結ぶ路線で、筑後地方と佐賀市中心部をダイレクトに結んでいた。筑後川に架かる筑後川昇開橋」は佐賀線の目玉の一つだったが、戦後急速に進んだモータリゼーションに勝てず、筑後川昇開橋も一定時間でしか橋の上げ下げが出来ないという弱点をはらんでいた。結局、1984年に第2次戦力外通告を経て、1987年3月28日に廃線。その時に佐賀線の重要駅で、窓口を併設した業務委託駅の一つがココ、筑後柳河駅だったのである。

 廃線後はバス転換が実施され、駅の跡地は公園になってしまったが、県道そのものは、なぜかそのまま温存し続けていた。しかし、廃止から約32年が経過した昨年末、ついに福岡県は県道そのものを廃止。管理権を柳川市に移管した上で、珍しく、福岡県から県道が1路線消滅した。

いつの間にか消滅。

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廃止まであと数日だった頃の停車場線。

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r733という標識、もう手元にある写真しか記憶が残っていないことに。

 筑後柳河停車場線(筑後柳河駅)に出向いたのは、昨年の2019年3月24日。有明海沿岸道路の風景撮影の帰りだったと思う。この時までは普通にHEXAGONが残っており、いつまで国鉄の路線を主張するのかと疑問に思っていた。その1年後にもココに来たが、その時にはヘキサが無くなっており、「あれ?」と感じた。最初は何でだろうと思っていたが、(宗像篠栗線の資料を探っている最中に)福岡県公報を発見し、その時に廃止が宣告されたという告示が掲載されていたのである。

 言い換えれば、約32年の時を経て、ようやく県道も「戦力外通告」ということになったと言える

俺たちは国鉄・県道だった。

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駅の跡地は公園になっている。駅舎などの設備は全くない。

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辛うじて、当時の柳川市の手で「ココに駅があった」という説明板がある程度。

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陸橋が出来ても鉄道が通んなきゃ、意~味な~いじゃ~ん!

 駅跡はどのようになっているのかというと、前述の通りに柳川市が主体となって公園整備が施され、駅跡であることを促すオブジェなどは一切ない。ただ、元々の筑後柳河駅が1面2線の島式ホームだったことに加え、当時は貨物も扱っていたことから、線路跡と公園との間が不自然にサイズが異なっている。

 駅跡の西側に、以前は平面踏切だったものを立体化した福岡県道770号との陸橋がある。しかし、陸橋が出来た後で戦力外になってしまったため、昭和末期~平成・令和以降に生まれてきた人にしてみたら「?」となっている。

 そうした過去の遺産が徐々に消滅する中、県道は「停車場線」という形で生き残ることが出来たものの、さすがに平成が終わろうとしているのに、廃止された駅までのアクセス道路を福岡県が管理するのは、時代遅れにも程があると判断したのだろう。鉄道は昭和末期、道路は平成末期までに戦力外となり、コレで完全に筑後柳河駅の遺産が消滅した形となる。

佐賀線の代役は、西鉄バスで。

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駅跡のスグ近くに西鉄バス

 佐賀線の代替交通手段は、基本的には自家用車による自動車交通が基本となっているが、一応、西鉄柳川駅柳川市中心部を連絡する西鉄の路線バスが運行されている。但し、本数は1時間あたり2本程度で、あくまでも観光客の輸送や市内に住む住民の交通の足という程度で使われ続けている。