そらマメさん道路局

道路関係と、一部の公共交通の話・郵便局めぐりなどがメイン。

新阿蘇大橋

 今年で熊本地震から5年目が経過した。

 熊本地震で大きな損壊を受けた施設の早期復旧や、避難していた住人へのアフターフォローなどがある程度進み、現在ではほぼ震災前の状態に戻りつつある。

 そんな中、一番インパクトがあった阿蘇大橋崩落からの復旧を目指し、24時間体制で復活させた「新阿蘇大橋」へ出かけてみた。

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よ~見える新阿蘇大橋

 崩落現場となった旧・阿蘇大橋(通称「赤橋」)は、深い谷間をアーチ橋で結ぶ形をしていたものの、本震発生時に西側の山の斜面が崩れ、斜面で土台を支えていた部分が破損・無力化して底へ落ちてしまった。運悪く、ココを走っていた当時の大学生が犠牲に遭ってしまい、崩落現場跡地には彼の死を偲ぶ石碑が建てられるなど、未だに当時の爪痕が根深く乗っている。

 崩落現場となった国道57号沿いは、山の斜面を大きく改変し、再度地震が発生しても崩壊のリスクを軽減するための対策が施されている。また、例の記念碑も含め、一体は展望台のようになっており、崩落現場にあった国道325号交差点の面影は全くない。

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崩落現場に建てられた石碑「数鹿流崩え碑」。

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崩落現場の反対側には、未だに例の赤橋の痕跡が残されている。

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再整備に伴い、旧・国道325号交差点の面影は全くない。

 崩落現場の反対側、即ち、東海大キャンパス側の方はどうなっているかというと、一応は通れる(南阿蘇村が整備した「震災の記憶を伝承する公園」として再整備されたため)。当時の本震発生時の様子がそのまま残されており、2016年に私が訪問した当時と殆ど変わっていない。大学生が赤橋通行中に犠牲に遭ったことから、旧・赤橋の近くにはたくさんの花が飾られていた。

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昔のまんま残されているが、さすがに廃道から5年が経過した今では、雑草が生い茂っている。

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2016年訪問時。5年後に通れるようになるなど、当時は全く想像付かなかった。

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赤橋の役割は、事実上の後継である「新」に継承。

 新阿蘇大橋の建設にあたっては、従来の赤橋の場所にアーチ橋を作るのは非現実的であることから、それよりもやや南側の場所にイチから作り直し、再度大きな地震が発生した場合でも、橋梁自体が崩落するのを回避するため、やじろべえの仕組みを活用したPCラーメン橋で造り直された。

 単に新阿蘇大橋が出来るだけでなく、東海大キャンパスの方に迂回しなくていいようにショートカット化されており、遠回り移動に掛かる所要時間が削減されているため、チョッとだけだが時間短縮効果が実現している。これを察するに、名前こそ「新阿蘇大橋」でも、実態としては昔の赤橋とは全くの別ものと考えるべきだろう

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阿蘇大橋

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よ~みえる展望台からは、並行する阿蘇長陽大橋や、建設中の南阿蘇鉄道の橋梁も見渡せる。

 熊本地震からの復帰を心待ちにしていたためか、周辺には新阿蘇大橋の復活を感謝する垂れ幕がたくさんあった。

 公共事業は人それぞれ解釈が異なり、感情的に反発したりする声があるのは事実。でも、そうしたインフラが寸断されると、途端に人の生活がメッチャ不便になる。阿蘇大橋がココまで重宝されていたのは、やはり移動手段が無くなってしまい、南阿蘇阿蘇・熊本の連絡が絶望的になっていたからに他ならない。

 新体制の阿蘇大橋に感謝すると共に、震災で命を奪われた皆さまに、改めてお悔やみ申し上げる。そして、5年目以降の自分は「震災による絶望感と、そこから這い上がろうと努力した人たちがいたこと」を、出来るだけ伝えていくに他ならないだろう。 

平成28年熊本地震  特別報道写真集  -発生から2週間の記録-

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