fuwafuwaame.hatenablog.com↑の話も参照。
鉄道における鹿児島本線・日豊本線の終点駅は鹿児島駅である(実際には隣の鹿児島中央駅がターミナル駅として機能しており、鹿児島駅は単なるローカル駅扱い)。
では、国道はどこかというと、照国神社前にある十字路となる。ココが国道3号(西回り経由)と国道10号(東回り経由)の終点になっており、同時に国道225号(指宿枕崎線に並行する国道226号と重複)の終点にも指定されている。
国道3号は旧薩摩街道、国道10号は旧日向街道の歴史を継承する九州の大動脈。いずれの路線も国道2号との境目にある北九州市門司区の老松公園前交差点から始まり、途中、小倉北区の三萩野交差点からそれぞれ3号・10号が分岐し、再びこの地で集結するルートを辿る。
国道3号に関しては、1885年内務省告示で旧・長崎街道と薩摩街道の組み合わせで旧4号(東京~長崎港)+11号(東京~筑紫野経由~熊本)+37号(東京~鹿児島)がそれぞれ誕生したものがルーツとなっている。その後、1920年に現行ルートとほぼ同じ旧・国道2号が誕生し、1952年の新道路法策定で一級国道3号(後に一般国道3号)となって現在に至る。
一方、国道10号は1875年に宮崎市を境に、北を大分街道・南を鹿児島街道と定め、翌年の1876年に2つの街道を統合する形で大分~鹿児島を一本の道路で結んだのがルーツ。その後、1885年の内務省告示で旧・35号(東京~小倉~大分)+36号(東京~大分~宮崎)+38号(東京~大分・宮崎~鹿児島)が誕生し、1920年の旧道路法で旧・国道3号(東京~小倉・大分・宮崎経由~鹿児島)として指定。新道路法が策定された1952年に一級国道10号(現・一般国道10号)に設定され、現在に至る。
起点がやや曖昧だった門司区の老松公園前と異なり、終点であるこの地には、当時の建設省が設置した記念の標柱が設置されており、2つの九州縦貫国道の終わりを告げるに相応しい「思い出スポット」として整備されている。
鉄道レポートのノリで、照国神社前交差点を眺めてみた。2つの路線がココで入れ替わるものの、どちらも終点となるため、交差点から見渡す道路は全て「上り方向」となる。とはいえ、市街地の一角にある交差点なので、記念モニュメントなどが無ければ終点を瞬時に察するのは難しい。
照国神社交差点の周辺は何があるのかというと、神社は当然として、県立博物館や鹿児島城・西郷隆盛の銅像などがあり、旧・薩摩藩で当時の藩主であった島津忠義の銅像(並びに島津氏の関連資料館)もある。また、国道225号経由で南下すると、鹿児島市の繁華街である天文館へダイレクトに行くことも可能。
鉄道で例えると、果たして照国神社前は何駅になるのか考えてみたが、位置や歴史的経緯・天文館最寄りというのも考えると、ココが鹿児島中央駅のような役割を果たしているとみている。逆に、その東側にあり、西郷どんの銅像がある国道58号の起点が鹿児島駅みたいなものだろうか。安易に比較するモノではないが、国道の聖地に来れて大満足だった。