大分県内の市町村標識(101・102A/102B)は他の自治体と異なり、市町村名にご当地イラストを追加したデザインで構成されている。平成の大合併後は、シンプルに市町名のみの再設置に変わりつつあるが、大分県の「一村一品運動」を継承してか、合併前のご当地標識をそのまま残す傾向にある。そんな、北海道のような標識を数多く残す大分県のご当地標識を、随時、解説していく。
まずは「臼杵(うすき)市」から。
旧・臼杵市
臼杵市は2005年1月1日に、隣にあった大野郡野津町と合併。面積こそ広くなったものの、人口密度は合併前よりも低くなり、人口減に悩まされる土地柄である。また、隣の大分市佐賀関と同様、豊後水道の西寄りの場所にあり、大分県東部のリアス式海岸(日豊海岸)の最北端に位置する。臼杵港では四国島へ向かうフェリーが運行されており、愛媛県南予地域(八幡浜・大洲・宇和島)との結び付きも強いとされる。
市町村標識のデザインは「臼杵のフグ・臼杵城」。臼杵湾で獲れる魚介類は数多くあるが、その中でも身が引き締まったフグは評判がよく、臼杵港周辺を中心に多数の専門料理店があることで知られる。豊後水道における潮の流れが速く、魚も活発に動くからだろうか。
なお、推薦店に登録された店舗では、かぼす入りのポン酢でフグの刺身を提供している所もあるという。美味しそうだ……。
背景画は臼杵城。中世から近世にかけて存在したお城で、戦国時代に府内大友氏館より拠点を移した大友宗麟(おおとも-そうりん)によって設立されたとされる。江戸時代には旧・臼杵藩の藩庁が置かれ、南蛮貿易の拠点にもなった。周辺は城下町が整備され、現在でもその街並みをできる限り残していることから、観光スポットとしての地名も高い。
ちなみに、旧・臼杵市の名物とされる臼杵磨崖仏(うすき-まがいぶつ)は、残念ながら標識デザインにエントリーされず。
旧・野津町
野津町のデザインは、とんちの名人とされた「吉四六(きっちょむ)さん」がそのまま描かれている。実は架空の人物であり、江戸時代の豊後国野津院(→野津町→臼杵市)の庄屋だった、初代・廣田吉右衛門がモデルになっている。
野津町の市町村合併はやや微妙なところがあり、合併前は大野郡に属していたことから、同じ大野郡の集合体で誕生した豊後大野市に編入されるはずだった。しかし、野津町は合併前から臼杵湾沿いの臼杵市と接点が強く、内陸に面した豊後大野市よりも臼杵市と合併する方が、行政面・文化面どちらにも理に適うという理由で臼杵を選んだとされる。
次回は豊後高田市の話をしましょう。