そらマメさん道路局

道路関係と、一部の公共交通の話・郵便局めぐりなどがメイン。

E11徳島道(鳴門~徳島)が出来る前の話

 E11高松道・板野インターとE32徳島道・藍住インターの間は、同一の主要地方道・徳島引田線によって繋がっており、徳島と鳴門の間のE11徳島道が繋がるまでは、この2つのインターを利用して大阪・神戸と高知・松山方面の乗り継ぎを行うことが多かった。

藍住インターのGSそばにある入口標識。E32徳島道とE11高松道、2つの案内がセットで置かれている。

拡大してみる。歩道橋の部分には、藍住インター利用者向けにE11高松道の案内が設けられている。

藍住インター内から見た様子。
訪問時はナンバリングなしの旧式・E11高松道の案内標識が残されていた。

E11高松道・板野インターの下り方向出口標識には、E32徳島道のりかえ案内が残されていた。

 なぜ至近距離でこの2つのインターがあるのかというと、これは四国島の高速道路整備が深く関係している。最初期の構想段階では、一つの縦貫道で徳島・高松・高知・松山を結ぶ壮大な計画になっていたが、四国山地を貫くという難工事が懸念されることや、1960~1970年代にかけて本州四国連絡橋の誘致を求めていたことなどから、縦貫S字ルートの建設は白紙に戻される。

 その後、再度ルート選定が実施され、本四架橋との接続を最大限に考慮した経路を辿る四国横断道を主体に整備を行う方向性が決定。高松以西の四国横断道(E11高松道・E32/E56高知道)と、吉野川北詰経由のE32徳島道及び、瀬戸内海沿いを走るE11/E56松山道(四国縦貫道)を整備する方針になる。

 計画そのものはE32徳島道の方が先立ったが、その後でE11高松道の鳴門延伸が実現したことから、その際に四国横断道と四国縦貫道が極度にギリギリの場所まで最接近する形となり、現在の姿になったとされる。一方で四国横断道のルートは徳島県阿南市から徳島市を通り、鳴門市で高松に向かう経路を辿ることから、この部分の高速道路整備を最大限に尊重すべしとの判断で乗り継ぎ対処とはせず、現在の紀伊水道経由のE11徳島道・E55南部道が出来たとさ。めでたし、めでたし♪

ザツな地図で説明する四国横断・縦貫道の関係

 不可解なインター最接近ルートは、民営化議論が進んでいた時にも鳴門⇔徳島・阿南の整備に疑問符が付くなど問題視はされたが、結局は予定通り施工。軟弱地盤の紀伊水道沿いを通るE11徳島道であるため、開通後の後始末で手こずっているようだが、地元民からは特に不満が出ることなく、結構愛用されている様子だった。

 「鳴門~徳島が一つに繋がるまでは、ETCだけでもいいから乗り継ぎ割引を導入するべきだ」という意見もあったが、これに関してはNEXCO西日本と政府は無視を決め込んでいる。これが実現すれば、乗り継ぎで対処可能なら、鳴門~徳島の整備は必要ないと思われてしまうから。行政の立場で考えれば、超至近距離で別路線が誕生したことのムズムズ感があったに違いないだろう。

多くの人が思ってることであろう、あすかさんのこのセリフ。もちろん無視。

 私の考えとしては、四国横断道を徳島・阿南方面に繋げる際、E32徳島道とE11高松道・E55南部道・E28神淡鳴道を、現在の板野・藍住インター付近に集約させ、そこにジャンクションを作るべきだったかな~と思う。そうすれば無駄な高速道路として槍玉に挙がることも無ければ、逆に軟弱地盤の紀伊水道沿いに誘致という、後始末が厄介な道になる可能性は低くなっていたかなと。

 鳴門~徳島のE11徳島道が完成したことで、乗り継ぎに対する問題は解消され、地元民からしたら至近距離にインターがあるので便利だし、遠方客も無理して退出して迷子になるくらいなら、最初から高速道路に乗ってたがマシ、高速バス事業者にしたら、道の駅いたのにバスターミナル要素を移転すればOKという考えになったので、昔ほどのイデオロギー感は消滅したと考えてよい。(客観)

参考文献: