1971年6月30日に、九州で初めてとなる都市間高速道路・九州自動車道が開通し、今日で満50歳を迎えた。
1971年地点では、現在の熊本市北区にある植木インターと、東区にある熊本インターのたった1区間だけしか開通しておらず、実質的には国道3号の迂回路のような存在でしか無かったが、その後は北へ南へ延伸していき、1995年の人吉IC~えびのICの開通を以て1本に繋がった。
他の道路では開通○○年記念みたいな話題をするものの、九州道に至っては、特に開通50周年を記念したイベントなどは開催していない。50歳という一つの節目であると同時に、開通から半世紀が経過した以上、ねぎらいや昨今を振り返る話題が持ち上がってもいいだけに、少しガクッと来た感じはある。
まあ、個人的にお祝いすることぐらいは出来るだろうと、ソロで九州道50歳アニバーサリーツアー(謎)を開催。九州道最古の休憩施設である北熊本SAに立ち寄り、そこでカレーと熊本ラーメンがセットになったものを朝から食ってた。
自治体や高速道路会社などが無関心に近く、今日の北熊本SAも特に何事もなく普通通りの朝を迎えたものの、私は敢えて持ち上げずに、いつも通りの「九州道の日常」をありのままでいることも、一つの答えだと考える。どっかの路線みたいにド派手に持ち上げることなく、本日も普通に九州道という一つの大動脈がイキイキしているだけでも幸いなことである。
熊本県区間の九州道は、現在でも球磨川流域の国道219号が復帰せず、無料開放状態が続いて生活困難な情勢が続いている。数日後には悪夢の集中豪雨(線状降水帯)が発生する恐れがあり、せっかく回復しつつある球磨川流域の生活再建に水を差しかねない事態が差し迫っている。かと思えば、数年前には熊本地震の影響で長期の通行止めを食らい、九州の交通網が大きくマヒする事態も生じている。
改めて、九州道という一つのハイウェイが、これほどまでに日常に溶け込んでいるか、よく考える必要があるのではないだろうか。安直なインフラ批判はせず、無くなった時の経済損失や今後の防災・老朽化した九州道に対する根本的治療・改善への投資を行いながら、100歳になった時に「米寿の九州道、おめでとう」と素直に言える時が来ることをお祈りしつつ、開通50周年という一つの区切りに思いを馳せる。