私は鉄道好きであるが、今の交通手段がいいとは思っていない。
あくまでも移動手段の問題で、どうしても鉄道でなければ訪問するのが難しい地域では、自動車よりも鉄道に軍配が上がる。その過程で駅めぐり・鉄道列車をサラッと見る程度にとどめている。ということは、元から鉄道輸送に合わない、ハナから自動車交通に依存した地域では、維持費が桁外れに高い鉄道を根強く残していくべきか?という難題に立ちはだかる。
鉄道・流通モノのブログでも度々「鉄道にこだわらない、多種多様な交通モードへの切り替えを」と私見を述べているし、本ブログでも日田彦山線BRTの話をチラホラとしているが、自動車交通に依存した地域では、駅(バス停)から目的地までの距離が大きく離れすぎている上、そこまでの移動手段も車・バス・徒歩などで到達しないといけない。その地点で疲れるし、肝心の列車がいつ来るかも分からない。時刻表をみてもスキマだらけで全く使い物にならないとすれば、鉄道好きであっても移動には向かず、速やかに土に還してあげた方がよっぽど社会貢献に繋がる。
多くのブログや鉄道ニュースサイトを拝見しているが、鉄道が大好きなのは結構なこととして、鉄道原理主義的な社会を強く求める意見に関しては微妙である。人・住宅地・産業・商業施設が密集した都心部であれば話が分かるけど、乗り手がいるのか分からぬ地方路線に1両編成しかない気動車をのんびり走る風景をみて「いやぁ~、鉄道には風情がありますわ」と言われても全く感銘を受けない。ましてや廃線寸前の場所に限って「鉄道を残せ」やら「地域の足を守れ」やら叫ばれてもシラケる。
research.a01.aoyama.ac.jp 青山学院大学の教授によるこの記事が最も腑に落ちるのだが、鉄道が威力を発揮する場所は、
これぐらいに限られる。ということは、それ以外の地は戦力外とした上で、おとなしく土に還す道を選ばなければならない。
但し、実際に鉄道を全て廃線に追い込めというのは無理があるため、速達性をカバーできる低コスト輸送を模索することになる。この条件を満たした一つのカギが、日田彦山線BRT・気仙沼 / 大船渡線BRTなどといった、バス高速輸送システム(BRT)である。
廃線に至った旧・鉄道路線は、一部で政治的な線区こそあれど、基本的には短距離で地域間を連絡できるように作られている。加えて、バスの柔軟性と都市鉄道の利便性も加わるため、専用道区間では「渋滞知らず」な定時制・高速性が保証されるメリットがある。また、一般道区間では人の生活に欠かせない場所(商業施設・病院・役場など)を重点にバス停を置くことが出来るため、短距離+中長距離を一度に賄える合理的な交通モードといえる。
「鉄道だとコストが掛かりすぎて大変だけど、かといって鉄道路線を完全に灰にしてしまうのはあんまり」って場所ほど、BRTが大活躍する。
道路は鉄道以上の汎用性を秘めたもの
高速道路・一般道路、それに民有道(ここでは交通事業者が所有する専用道路も含める)、いずれも共通しているのは「汎用性」である。あまりにも多目的な活用が出来るため、鉄道にこだわる理由がいまいち思い浮かばない。
JRを含めた鉄道事業者は、コロナ騒動に伴う極端な客離れと、回復後も元の活気ある鉄道社会を実現できるとは思っていない。その前からも輸送人員がどんどん減っていき、引き換えに自動車交通へとシフトしていったからである。加えて少子高齢社会が今後も深刻化する上で、限界集落と化した所を鉄道復権で行うことなど、もはや妄想の域に過ぎない。
汎用性があまりにも大きい道路には叶わないし、多少の犠牲はあるにしても、柔軟性・定時制がある程度担保された路線バスがあれば、別にソレでいいです~となる。それを補強するBRTは、非合理的に考えても理にかなう。
申し訳ないけど、今のままでJRなどの鉄道事業者が、いつまでも鉄道にこだわるとは思っていない。「どうしても鉄道を」と言うのであれば、鉄道事業者から当該線区を自治体が全て買い上げ、第3セクター方式や上下分離方式の形で細々と経営していくしかない。自治体主体の3セク会社なら公共交通最優先という大義名分が残るため何も言わないが、カネは出さんのに口だけは大声で存続運動をしてるところに関しては「プロレスはいいから、サッサと現実的対処をしろ」となる。
JR九州がどんどん赤字に陥って、一方では沿線自治体の無理解による猛反対で足を引っ張る状態が続く以上、このままでは特急・新幹線以外の鉄道事業を放棄し、完全な不動産事業会社となってしまうのも、そう遠い話ではありませんよ。